「多治見国長公遺址」という石柱が建てられている。大榎の下に小さな祠と国長邸の表門があった所で、館は西南方向へ縦横一町ほどあったという。
荒廃していたが、明治十三年の明治天皇の巡幸に際して遺跡として保存するため小祠をたて霊を祀った。毎年十一月十九日に祭典が行われる。
国長は土岐氏の一族で浅野判官光行の四男・土岐四郎国義の子・又四郎国俊の二男にあたる。後醍醐天皇の正中元年(1324)九月十九日に京都錦小路高倉宿所で、北条方の兵・小串範行ら三千余人と血戦し、国長一族とその従士二十余人は悉く自刀した。太平記に詳しい。国長没後、建武の頃(1334-36)に土岐左近蔵人頼貞が多治見館に居住し、のち多治見修理亮同五郎兵衛等ここに住んだという。
参考:『多治見市史 通史編 上』(多治見市、昭和五五年)45、270頁