藥王山法海寺花王院 平井村にある。天台宗、野田密藏院の末寺。人皇三十九代・天智天皇が病に悩まれた時、勅詔によって、新羅の沙門道行が春日明神へ祈誓したところ、明神が童男の姿で現れ、自らを法海童子と称し、霊木を以て薬師の尊像を彫刻し、道行に授けた。やがてその仏像と共に、光明をうせなさった。病はたいまち癒えたという。これにより天智天皇七年戊辰(668)に当寺が草創され、あの薬師の霊像を本尊として、勅使により山號・寺號の勅額を下しなさり、勤尊和尚を開山とした。

また山階清水岡といったのを改めて、寺本の庄と號し、数多の田園も寄進された。以後、天武・持統の両帝をはじめ、其後十三代の帝王まで、國家鎮護の勅願所とした。二世は勤操和尚、三世を弘法大師とす。当年伽藍堂塔の盛なる事は、悉く大師の撰ばれし『儀軌』に見えたり。今事繁ければここに洩しつつ。

寺寶

大日如来:弘法大師の筆。
山越の阿弥陀:恵心僧の筆。
當山儀軌:弘法大師の筆。
法海寺謠本:信長公の筆。
涅槃像:土佐将監光信の筆。
不動明王:巨勢金岡の筆。
薬師如来:兆殿司筆。
三千佛:宅磨法眼榮賀筆。
両界曼陀羅:粟出口法印光圓筆。
十六善神:張思恭筆。
三佛十菩薩:顔輝筆。
他多数

常光院 文祿二年(1593)榮源法印の中興。
大乗院 文祿三年(1594)證永法印の中興。
吉祥院 慶長元年(1596)龍運法印の中輿。
三院皆樂王山を通稱す。

牛若・辨慶の絵馬二枚「慶長十八年癸丑卯月三日、知多郡寺本中島村願主佐渡源右衛門」とあり。
河津・股野角力の絵馬一枚「元和三年丁已二月吉祥日」とあり。

参考:『尾張名所圖會 前編 巻六』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

知多市八幡平井19番地
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