門前町東側にある。景陽山總見寺(そうけんじ)。臨済宗、京都妙心寺直末である。
当寺はもと伊勢の國大島村にあった安國寺(開山の虎關禅師は『元亨釋書』『濟北集』などの撰者である)という廃寺を、内大臣信雄公が父信長公の菩提の為に、尾張國清須に移して建立し、忠嶽和尚を住職におき、(旧来の由緒によって虎關禅師を開山とし、忠獄を第二世の従事とする)信長公の法號の「總見院殿」から景陽山總見寺と名付けられ、慶長(1596-1615)の御遷府にこゝに移した。信長公が近江の安土山に在城していた時、山上に一堂を建て、國中の郡郷を「總見する」の意をとって「總見寺」と名付けたが、信長公が没した後、その寺號をもって御法號としたのである。
第三世の住持・閩山和尚は、道徳才学抜群で、源敬公の御寵遇がたいへん厚かった。ある夜、方丈が焼失したため、貨財を賜わり、正保元年(1644)十月二十四日、再建が完了すると、源敬公が来臨し、長臣に命じて宗門の耆老を集め、詩を作らせて祝賀した。
境内に古い杉が多く繁り、陰々鬱々、日を遮り空に迫り、禅堂の雲版、僧寮の石磬も、自ずと幽凄閑寂とし、市中に珍しい古浄域である。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻一』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)