泥江縣神社

廣井八幡宮と称す。袋町・御園町の西の北側にある。『本國帳』に従三位泥江縣(ひろえあがた)天神とある。

  • 本社:祭神 應神天皇・神功皇后・玉依姫命。
  • 末社:神明社・熊野社・熱田社・洲原社・三狐神社・淺間社・兒御前社・惠比須社、その他小祠が多い。また観音堂も一宇ある。
  • 例祭:八月十四日試楽、 同十五日祭礼。 神輿を材木町白山社まで渡す。延寶四年(1676)より車楽を出していたが、享保九年(1724、閏)四月十三日の火災に、山車焼失してから断絶して、幕末頃には近辺の町々より、傘鉾をあまた渡されるのみとなっている。
  • 祠官:安井氏。
笹島焼磁器

※詳細な場所は不明

広井村の笹島で造られる。幕末頃の新たに造り始め、楽焼の模様さま〴〵に、色とりどりで美しい陶器である。

廣井女王古墳

※詳細な場所は不明

廣井の武家屋敷の裏にあり。古塚の形が残り、廣井女王の墓の跡といい伝えられるが、定かでない。女王は『三代實録』に

貞觀元年十月二十三日乙巳。尚侍從三位廣井女王薨。廣井者二品長親王之後也云云。父從五位上雄河王云。仁壽四年授從三位。天安三年轉尚侍。(前官權典侍)薨時八十有餘。廣井少修徳操。擧動有禮。以能歌見稱。特善催馬樂云云。好事者多就而習之焉。至于祖沒。時人悼之

(:貞観元年(859)十月二十三日乙巳。尚侍從三位廣井女王が亡くなった。廣井は二品長親王の後裔である、云々。父は従五位上雄河王、云云。仁壽四年(854)従三位を授けらた。天安三年(859)に尚侍に転じた。(前の官職は権典侍であった)亡くなった時は八十歳余り。廣井は若くして徳操を修め、挙動には礼が有った。和歌で称賛されてきた。特に催馬楽を得意とした、云云。好事者が多く赴いてこれを習った。彼女が没するに至り、時の人はこれを悼んだ。

と見えるが、こゝに墓がある事は古書に書かれた物は無い。伝説の失くなったものだろうか。

参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

名古屋市中区錦1丁目7番29号
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