年貢米は村の郷蔵から河岸に運ばれて船積みされ、武儀(加茂)郡では上麻生村、加茂郡は石神村の二箇所が主たる湊で、ここから川下げで桑名まで回送された。
そのほか、近在で生産された米・薪炭・茶・生糸などを犬山・笠松・桑名へ運搬し、上り船には主として桑名の海産物、笠松では陶磁器、犬山で衣類や日用雑貨品を積んで帰ってきた。そして陸揚げされた物資は、この石神湊を起点として、流域の村々に搬入されていった。
航路の上りは、帆を挙げて風を利用するほか、引き綱の牽引で川をさかのぼるなど、船方の苦労は並大抵のものではなかった。
大正十一年(1922)の高山線の開通で鉄道による大量輸送が可能となり、また昭和十二年(1937)のダム建設により水没した。
参考:
川辺町史編さん室『川辺町史 通史編』(岐阜県加茂郡川辺町、平成八年)347頁
『かわべの文化遺産』(川辺町教育委員会、平成14年)20頁