篠野村にある。臨済宗、京都妙心寺の末寺である。山号は萬松山。寺伝に、文和三年(1354)相州鎌倉円覚寺の義海和尚の草創。天文年中(1532-1555)妙心寺の笑溪和尚が再建し中興したという。 寺宝に古證文がある。

寄進妙光寺事。合葉栗郡内野村篠野。四至限東鎭守天神。右寺領同位牌田等。奉寄進當寺也。若子々孫々之中。致違亂煩者。可爲不孝之義也。固可守此旨。依寄進狀如件。永和戊午四年九月十一日橘康武

(:妙光寺に寄進。葉栗郡内野村篠野を合わせ、四至は東は鎭守天神まで、右は寺領同じ、牌田まで。当寺に寄進する。もし、子々孫々の中で違乱の煩を致す者は、不孝の義とみなされるべし。固くこの旨を守るべし。よって寄進状とする。永和四年(1378、戊午)九月十一日 橘康武

参考:『尾張名所圖會 前編 巻五』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

一宮市笹野宮西1260番地
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