枇杷島橋の下を流れる川で、小田井川ともいう。『尾張風土記』に載る「大井田川」はこの川という説もあり大河である。水源は三つあり、一つは美濃の恵那郡竹折から出て、同土岐郡釜戸を経て、玉野勝川・味鋺に至る。一つは内津(内津川という)から出て、松本・出川を経て、上條村にて玉野川の下流と落ち合う。一つは三州加茂郡から出て、瀬戸・赤津・山田・安井(こゝで矢田川という)を経て、稻生で二つの流れが合流し、大河となり、こゝから下流は万場・一色を経て海に入る。この河水は篠木・栢(柏)井の両庄を流れるため、総名を庄内川という。

この川は平生は清冷の長流で、茶人など殊にこの水を賞美する。長雨や大雨の時は、洪水で漫々として岸を洗い堤を侵し、水勢が強い時は橋の上に多くの大石を置き、夜は堤にかがり火を焚いて番を立てる。もともと堤の下に石杭を建てゝ、水の増減を知る便りとしていた。

考えるに、元和(1615-)以前は船渡だったのだろう。洪水の時は水勢強く船が通られなかった事が『那古野合戦記』及び『信長記』等の文意からも知れる。

参考:『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)


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