大高村の東南にある。東西五十九間(約107.3m)、南北十八間(約32.7m)。

もとは織田信長が築いたものであるが、信長の家臣・山口左馬助が子細あって叛き調略し当城を侵掠し、のち今川家に属した。永禄三年(1560)の桶狭間の役では、織田勢は鷲津・丸根の二箇所に砦を構えて今川勢の糧道を遮絶しようとしたが、徳川家康十九歳の御初陣にして、奇策を以て、当城へ兵糧をやすやすと運送した広く知られている。

尾張藩主の生母の実家 志水家屋敷

三の丸跡に屋敷があった。志水家は尾張藩初代藩主徳川義直の生母お亀の方の実家である。お亀の方の兄忠宗は義直付属となって五千石の知行地を与えられ、元和五年(1619)の加増があって一万石となった。

大高村は東海道沿いにあり、鳴海宿に接し、知多半島の付け根にあたる位置にある。村民の多くは農業と商業を兼業し、同村本郷には縦横に道が通じて農家が軒を並べていた(『尾張侚行記』)。元禄六年(1693)に知多郡が尾張藩二代藩主徳川光友の隠居領となった際も、由緒の地として志水家知行地のまま維持された。文久三年(1863)から慶応元年(1886)にかけて、尾張藩の警備強化で十五代志水忠平は家族と共に名古屋から大高に移った。

参考
『尾張名所圖會 前編 巻六』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)
愛知県史編さん委員会『愛知県史 通史編5 近世2』(愛知県、平成30年)

名古屋市緑区大高町本町
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