比良村にあり。現在、福昌寺という曹洞の禅刹となっている。宗悦は医業が優れていたので、江戸に召されて官医になり、その廃宅を現在のように寺とした。

遠国へ送る船荷物や行李等に、「塙宗悦荷物」と札に書いて挟めば、難船の害に逢わないといい伝えられ、俗にそうする者は多い。むかし宗悦が龍神と約束した事が由来だという。

或る説に、明應年中(1492-1501)宗悦は東へ下る際に、遠江の浜名のあたりに宿をとったが、自ら自身の脈を診たら、死脈であったので、たいへんあやしみ、供に連れていた下人を呼び、脈を見ると、なお死脈であったので、いよ〳〵訝しと思い、旅宿のあるじ家内の者の脈を伺い診れば、みな悉く同じ脈だった。さては今宵、地変が必ず起こるだろうと悟り、里人等に告げ知らせ、急ぎ他の地へ退いたが、里人もその事を信じて立ちのく者も多かったという。

その夜、近くの山より法螺多く発出して、山陸激しく崩れ、そのあたりの里残らず埋没して、大海となってしまった。現在の荒井・舞坂の間の今切の海がこれである。さて宗悦の言葉を信じて退いた者、命が助かったので、宗悦のお告げは龍神の加護であると言いならわし、そのことが移って、船荷物に彼の名を記せば、水厄の恐れなしと言い伝え、こうしたといわれている。

いずれも怪しい説で受け入れにくいが、俗伝が長く続いていることから、しばらくここに記す。 連歌に名高い塙茂元もこの一族である。

参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

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