天龍山常樂寺 成岩村にあり。浄土宗で、部田・祐福寺の末寺。文明十六年(1484)甲辰、空觀榮覺上人が開基して、当郡西山派の本寺。寺伝に、永禄三年(1560)庚甲の桶狭間合戦の時、徳川家康が大高村に出陣したが、織田勢により危難が迫り、緒川城主・水野四郎左衛門が申上げて一旦常滑まで退き、里人を召して成岩の天龍山へ案内するよう命じた。これにより山越えして当寺へ入られた。その時の住持・願所上人は、家康の前に出て、「此度の御帰陣御少勢なる故、愚僧弟子の内聰本といふ者、大力の勇者なれば、彼に一山の大衆を引率させ、山内の裸馬に打乗らせ、三州への御案内いたすべし」と申し上げると、家康は大いに喜び鞍・鎧及び板挟箱等を与え、今もなお寺宝とする。
その後天正十七年(1589)、家康が本堂前に二本の松を自ら植え、今も「御手植の松」と称して、枝葉殊に繁茂する。往昔は寺領があったが、秀吉公の時に没収された。のりに國祖君(家康)が知多浦に御遊覧した折、当寺に数日滞留され、寺領を旧のように復した。近頃、半田村の小栗某をはじめ惣旦那が、数千の資財を寄附し、堂内の荘厳を修理したが、七宝を鎮め、朱粉を施して、その華美さはまさに九品の浄土に思わせる。
本尊 三尊佛。
塔頭 超世院・遣浄院・真如院・來迎院の四字あり。
参考:『尾張名所圖會 前編 巻六』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)