直径十間(18m)、高さ八尺(2.5m)の古墳。明治十四年新羅神社に祭祀してあった神明神社を、この墳丘上に遷座し、同四一年に現在地へ奉遷すると同時に封石を全て取り除き、跡形もない。長さ六間(21m)幅一間半(2.7m)の巨石を台石として日露戦争の忠魂碑が建設されている。付近には花崗岩が幾つか頭を出しており、神明神社の丘は花崗岩の露頭である。

出土品は、直刀長さ二尺八寸と二尺の二本、匂玉・菅玉・切子玉・瓮(蓋付)直径一尺二寸のもの一。これら遺物は残っていないが、神明神社近くの斉藤宅を解体したとき、壁土の中からメノウ製の匂玉一個が発見された。墳丘の盛土は精選された赤土が用いられたため、壁土に採掘されたのだろう。

参考:
『多治見市史 通史編 上』(多治見市、昭和五五年)134、135頁
『古墳発掘の記録と研究課題』(多治見市教育委員会、昭和三九年)
『大多治見』(可児柳太郎、昭和一四年)

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