※席田郡は、当地席田小学校の周辺であるが、その中心地は不明。
むしろだといい、郡名である。昔、この辺りは鎌倉時代初期の歌人、藤原定家卿の知行所であったという。
『新拾遺』(貞治三年 [1364] 頃)
席田に 千年をかねて住む鶴の 君かよはひに しかしとそ思ふ
源師光 席田に千年住む鶴の長さでも、我が君の齢にはしかしと思う
『新勅撰』賀(文暦二年 [1235])
席田に むれゐる鶴の千代もみな 君かよはひに しかしとそ思ふ
太宰大貳重家
『藤川記』(文明五年 [1473])
幾千年 かはらぬ御代は席田の 鶴のよはひも しかしとそ思ふ
一條兼良
『新題』林(文暦二年 [1235])
敷忍ふ 霜や幾とせ席田に 友も群ゐる 鶴の毛衣
實陰 霜が幾年と続く席田で凌いできたのだろうが、仲間と群れる鶴の羽衣は
『新勅撰』
数ならぬ かゝるみくつは席田の 鶴のよはひも 何か祈らん
二條帝太后大貳 数にならないこのような御沓(粗末な私)は、鶴の齢でも祈るしかない
『新題林』雑中(宝永四年 [1707])
むしろ田に 老ひぬる田鶴や敷き忍ふ 世々にもあへる よはひ成るらん
中御門院御製 席田に老いた田鶴が敷き忍ぶ。いくつもの世に遇ってきた齢なのだろう。
参考
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)