長島山崇覺寺。橘町東側にあり。東本願寺直末なり。開山は讃州丸亀の城主・水谷左衞門大夫可高。後に出家して「安養坊」と称した。 天正年中(1573-1592)攝州石山で織田家合戦のとき召集に応じ、雜賀の門徒を引き連れて数度戰場に赴いたが、ついに戦死した由が、寺譜に見える。その影像(肖像)は、今に至るまで本堂に安置されている。
安養坊の実子である衞門重成、教如上人の弟子となり、法名を「敬圓」と授かり、また親鸞聖人真筆の名號や三狭間の影像、そのほか種々の宝物を授かり、今の寺につたわる。
もとは勢州桑名郡長島の中川村にあったが、寛永年中(1624-1645)当國の巾下堀詰町に移り、正徳年中(1711-1716)に今の地に移った。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)