田幡村にあり。曹洞宗、熱田圓通寺の末寺。吉祥山と号す。もとは熱田の田中にあって、永泉寺といったが。享保十二年(1727)二月、当村の住人の原田佐仲という者が、本願としてこの地に移した。ここはもとは府下(府は名古屋城のこと)の士の榊原氏の別荘で、現在の当寺の庫裏は別荘の名残であるという。その後寶暦二年(1753)に今の寺号とする。

また上杉謙信の画及び位牌がある。しかし当寺は長尾氏につきて由緒ある地ではない。享保十二年(1727)府下の士佐久間氏が志を発し、門弟とともに納めた画である。この時、謙信一百五十年の忌に当たり、追福法會を執行した。その際の法楽和歌一巻も寺伝する。これより毎年三月十三日、像を掲げて法会が営まれる。

寺宝の涅槃像は兆殿司の筆。境内に人麿社があり、頓阿作の像を安置する。毎年三月十八日に和歌を奉納する。

参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

名古屋市北区田幡2丁目4番14号
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