※詳細な場所は不明
九坪村の東の方、久地野村にある長い池である。しかし古から「九坪の黒池」と言い慣わされている。
寛永三年(1626)の夏、天下は大いに旱魃した。平田寺(西の方にある)の快岩和尚が農人の求めに応じ、また国命(藩主の命)を奉じて、六月五日、隣村の久地野村の黒池に住む龍神に血脈を授けて祈った。すると即座に大雨が降って国内を潤し、万民の喜びは限りなかった。
快岩は自らその出来事を謡曲に作り、下村宗利という者に章句の曲節を付けさせた。諸人に謡われている。
謠の文句から
此池に臨み請雨の法を修しけるに、龍神老翁と現じ、誦經を聞き、それより大雨頻に降り、稼穡うるほひ、萬民歡ぶさまに作りたり。
(:この池に臨んで雨乞いの祈禱を行ったところ、龍神が老翁となって現れ、お経を聞いた。そして大雨がしきりに降り農作物が潤い、万民が喜ぶ様子から作る
君山翁の『賤小手卷』に黒池の事を書いた條によれば、寛永年中(1624-1644)、鴨池という所で、村民が二間(約3.6m)程の白うるしの蛇を殺したという。その後、近辺で大きな烏蛇を見る者もあったが、長く病に臥したと記されている。
以上のことから、このあたりはむかし龍も住んだとみえる。
参考
『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)