谷汲山観音院といい、室寺と称す。萱屋町の西側にある。浄土宗、京都智恩院の末寺。服蓮社覺譽呑翁和尚が中興開基した。のち延寶三年(1675)正月十八日、貞松院尼公(尾張藩初代藩主徳川義直の側室)の母堂である崇福院殿の菩提のために再興した。
十一面観音。文珠菩薩の作りで、桓武帝の御宇(781-806)に、大口大領十一面の尊像を佛工に彫刻させた。その佛工が文珠菩薩の加護を願うと、文珠大士が獅子の座より立ち、佛工と共に一刀三礼して、赤梅檀から一尺五寸(約45cm)に観世音を彫刻し、一夜で完成された。佛工はこの尊像を遠境に置く事を惜しみ、また文珠大士に彫刻を願うと、今度は七尺五寸の霊像を彫刻した。現在、美濃國谷汲の本尊はこれである。
また一尺五寸の尊像は、自ら護持して、洛西の御室仁和寺の辺り柳原という所に草庵を営み安置したが、永正の頃(1504-1521)当寺を建立する時に、本山の智恩院より伝を求めて当寺の本尊とした。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)