門間村の支邑八幡村にある。同支邑福塚村及び黒田村の氏神である。式内で、『本國帳集説』が伊富利部神社を当社に考えていることから、近頃は式の神号のみで呼ぶ。元は八幡村の八幡として、国分寺と同じく諸国にあったが、廻国の行者共が必ず参詣する慣わしなので、常に諸国の参詣が絶える事なく、国分寺は廃跡のみとなったが、当社は今も厳然と霊験日々現わし、神さびている様子は、たいへんめでたい事である。そのうえ、式の旧號に戻したことで、さらに尊崇を高めた。 天正十年(1582)黒田城主・澤井左衞門尉が再建したといい伝えている。今も当郡中の大社であるが、往昔はなおさら広く、門間村も八幡村といっていた。それは門間以覺寺の阿彌陀の画の裏書の、『享祿四年(1531)辛卯十一月二十八日。尾州羽栗郡上門眞庄八幡村福藏坊』からも見える。

末社 神明社・春日社・辨財天社・富士淺間社・神宮司社・貴船社・若宮八幡社。

例祭 八月十五日。

社人 林氏。

参考:『尾張名所圖會 後編 巻五』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

一宮市木曽川町門間北屋敷3714番地
種別