下川辺城(毛利山城、牛ヶ鼻城)には毛利勘右衛門が在城し、川合や西脇を領有していた。

永禄十年(1567)、肥田玄蕃の子長寿丸が三千の兵を率いて栃井の渡しを渡り陣場野に布陣すると、毛利勢は主君を見限り殺害して投降し、城は落城した。やがて元亀年間の三月、堂洞城主岸勘解由が来訪し、長寿丸と酒宴の中で盟約を交わした。これにより岸氏の馬串山城と毛利山城が交換され、小山・南川合・牧野地区は肥田氏の領域となった。

参考:川辺町史編さん室『川辺町史 通史編』(岐阜県加茂郡川辺町、平成八年)136頁

美濃加茂市
種別