豊場村にある。曹洞宗、熱田圓通寺の末寺。萬松山常安寺。永享年中(1429-1441)明谷義光禅師(『藍尻』に義元とする)が創建したが衰微したため、当地の領主の溝口富之助(傑山良英居士。嘉吉元年辛酉九月九日没)が亡父の蔵田居士の菩提の為に、大永四年(1524)甲申六月再興し、田地を寄附し、かつ肥後国河尻村にあった釋迦・阿難・迦葉の三霊像を永樂錢百貫文で買い取り、当寺の本尊とする。

これは天竺(インド)の仏工の毘首羯摩天が、赤栴檀の香木で刻んだ尊像で、京都嵯峨の釋迦と同木同作である。当寺の像は木の根の方で作ったとして、俗に「豊場の根釈迦」と称す。国内で比類なき霊仏で、嵯峨の釈迦のように、他所へ開帳に出し奉る事があれば、たちまち霊異あって動座されず。近年、住僧が他所で開帳しようと移し奉ると、その時になって尊像磐石の如く重くなり、事にかゝわった者はみな大病をうけて、悩み甚しかったので、恐れて止めたという。

本尊 本文に述べた通り。像の台に安置の由来を詳しく漆書して伝わる。

迦葉池 本堂の南の庭の内にある。むかし盗人が本尊仏を盗み出そうとすると、重くなって動かなかったので、脇壇の迦葉の像を背負って南庭まで出た時、忽ち重くなり、かつ五体がすくんで悶絶たので、この池に打ち入れて逃げ去ったという。

鎭守 白山權現。その他、秋葉社・金毘羅社・烏瑟沙摩明王堂等。

参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

西春日井郡豊山町豊場木戸76番地
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