平島村の人。先生の姓は紀、名は徳民、字は世馨、如水山人を号し、甚三郎と称す。

もと当村農家の出であるが、若年より学問に志し、府下で中西淡淵に師事した。後諸國を継歴して、長崎に足を止めて学業大いに成った。後江戸に出て一家を起こし、先生とよばれるようになった。諸侯の礼遇は多かったが応じなかった。安永の末、尾張藩主に召し出され禄位を賜り、國校(藩校)の督学で終わった。

著書もまた多い。先生のごときは、実に書錦の栄を恣にすと云うべき。また近き頃『大昕(たいきん)叢書』中の十駕鷲が『養新餘録』に、先生の事を載せているので、遠方にもその名の聞こえている。

先生の碑を当村の天神山に建てたのは、出生の地であるからである。婢文は長いのでここでは洩らす。

参考:『尾張名所圖會 前編 巻六』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

東海市荒尾町金山83番地1