黒田村にある。義満将軍の時、土岐宮内少輔詮直と、従弟の島田伊豫守満貞が合戦した古跡である。
『南方紀傳』によれば、南朝の元中五年(1388、戊辰、北朝の嘉應二年にあたる)八月、島田伊豫守満貞は、兄の土岐康行を代官として都にいたが、兄康行をほろぼし、惣領に立つ事を望み、謀りをめぐらし、従弟の宮内少輔詮直は、康行の聟だったことからまず詮直に逆意があると義満将軍へ訴えた。事を延き引せば康行・詮直が一味し、満貞とかならず合戰があるだろう、よって満貞も同じ罪たらん事を憂えた。そのため詮直勘氣せられ、満貞に尾張の守護を賜ふ。これによって満貞が尾張におもむく。その後、詮直黒田口にて合戰に及ぶ。康行も人數をつかはして満貞を討たんとする。將軍此よしを聞き給ひて、土岐左京大夫頼益に命じて康行を征す云々。頼盆は康行が從弟なり。『明徳記』に記すものも同じくし、密貞は敗北して逃げたという。『常樂記』に、「嘉慶二年(1388)五月九日。土岐左馬助。於尾州黒田合戰場討死と見える。」
参考:『濃飛兩国通史 上巻』(岐阜縣教育會、大正十二年-1923)