鎌倉時代に慶円上人が創建した浄土真宗本願寺派の寺。境内は堀で囲まれた城郭伽藍を表し、本堂を囲む内堀、北側の庫裏などを囲む堀、外側の寺内を大きく囲む外堀で構成する。
内堀は幅3.7m、深さ1.6mで、外堀は幅4.6m、深さ2.8mで、東西・南北320mが寺内として囲まれていた。2015年国史跡に指定された。外堀の最下層から、土師器内耳鍋や瀬戸・美濃窯産天目茶碗等が出土している。
戦国時代に寺内の課税・警察権の行使を拒否し、家康と対立し永禄7年(1564)三河一向一揆が勃発した。本願寺の住職が一族の土呂本宗寺、三河三ゕ寺と呼ばれる野寺本證寺、佐々木上宮寺、針崎勝鬘寺にこうした寺内が形成された。本宗寺の住職証専は姫路の本徳寺にいた為、中心は本證寺の空誓であった。
愛知県史編さん委員会『愛知県史 通史編3 中世2・織豊』(愛知県、平成30年)