檜物荘は日野仁正寺近傍の部落をいうが、その区域は明確でない。甲賀郡石部の近村を檜物下荘といい、蒲生郡にあるものを檜物上荘という。

遥か昔、土人が挽物を作り四方に販売し、日野椀と称した。日野仁正寺の産物である。

日野

日野は本来、村井村・大窪村・松尾村をいう小市をなし、三十四町を日野町と称した。昔は遺邇野といい、また檜物庄の内であったため日野と改めたともいう。あるいは朝日山の辺から日野という、また往古は日野の牧という。

郊原であり、天智帝(668-671)の時に近江の国に牧が置かれ、その一つである。蒲生氏がこの地に佐滅して以来、繁盛する地となり、小市街となるに至った。また日野荘とも日野谷ともいう。享保の頃(1716-1736)には日野町に人家千五百戸余あった。

参考:『近江名跡案内図』(静里北川舜治、明治二十四年-1891)433、434頁

蒲生郡日野町村井1284番地