先年、池田郡市橋村に宗德と申す御禁制の切支丹宗門の者がいた。 子が二人あり、兄は風化、弟を哲心と言う。父・宗徳の死後、御禁制となったので両人とも欠落して諸国に隠れ忍び、後には哲心は今井源吾と名乗り、村々を浪人の体で徘徊し、それでも不安であったので坊主となり、淨土宗の風儀をもって、北方村に来て、淨言(長慶寺看坊)が旧知であったので、尋ね来て五六日も留置したとか、云々。しかし遂に追い立てられたという。

末期教徒の苦衷がまざまざと忍ばれる涙ぐましい伝説がある。

参考:『尾張切支丹 年表 札所巡礼』(森徳一郎、昭和一九年)77頁

揖斐郡揖斐川町北方1642番地1
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