太田の渡しの手前の宿驛。元禄七年(1694)以前は土田驛に助郷一万480石余あったが、同年より伏見驛に転属された。伏見驛には公儀判形制札があった。
慶安四年(1651)に、人口467人、馬数43疋。村高は656石余。伝馬役として堤役は免除されていた。通常、当驛で馬頭を立てた。大通りの節は、上りに御嵩驛と共に太田驛へ送り、下りは御嵩に人馬を出し、共に細久手(細淋)驛に送る。
太田への渡しは、もとは渡町にあったが、天明年中(1781-1789)に今渡に変更された。土田刎橋は寛永七年(1630)始めて架けられ、享保十八年(1733)五度目を架け直したという。(『古義』)
参考
『濃飛兩国通史 下巻』(岐阜縣教育會、大正十二年-1923)