宮田村の四ッ谷にあり、宮田村の本土神(うぶすな)とする。往昔、当村の住人三輪某・森某・尾関某というものが勧請した。例祭は八月八日・九日、笹踊・湯の花、同二十三日・二十四日、馬の塔数匹を引く。当村のうち本郷・南野・四ツ谷・生原と組々に馬を出すが、生原の馬は三輪某より出す古例である。これは当社を勧請した家筋だからである。その他の馬は村中一統より曳く。さて三輪の先祖は、元慶年中(877-885)の人で、有道と号す。この社は保元元年(1156)修復の棟札あるといい、たいへん古い。

花馬奉納

当寺の祭礼では宮田村の各字から花馬が十疋献馬されるのが常であった。献馬は、鞍に御幣や造り物を立て、馬具で飾った馬を社寺に奉納する行事である。尾張北部は「上郡」といい、江戸初期には多くの馬が飼われていたが、寛政期(1789-1801)には各村2~3頭にまで減少していた(『尾張侚行記』)。宮田村でも近世末には同じように少なく、祭礼の際は近隣の村々から借用した。弘化四年と明治三年の借用の記録が残る。遠く佐千原村(現一宮市)からも借用している。

湯の花

湯の花は、社の拝殿や神前などの祭場に湯釜を置き、沸きたつ湯を笹束で四方の神々に献じ、続いて神々の息吹きのかかった霊湯を浴びることで生命の復活をとげる祭礼である(『愛知の民俗芸能』)。天王社では天保期から毎年のように記録が残されている。それによると、釜は三つあり、一番釜、二番釜、三番釜と唱え、籤によって担当者が決まる。決められた順に人々が神々に祈り、順番によって祈る神と神の数が異なり、帳面では多くて六神、少なくて二神だった。神々は牛頭天王・大神宮・秋葉・神宮・大明神・川神・天神の八神で、いずれも宮田村に勧請されていた。

参考
『尾張名所圖會 後編 巻五』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)
江南市教育委員会・江南市史編さん委員会『江南市史 本文編』(愛知県江南市、平成13年)415、416、418頁

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