妙法寺村にあり。

文政年中(1818-1830)、この地の民茂助と云う者が荒地を開拓したところ、歯骨を堀り出すことがあり、その数三十枚余、長さ二寸余(約6cm)のものもあった。彦根の士・長野義言が『山陵考一巻』を著し。その門人である八日市の島村某とともに尽力して塚を造り、市邊皇子の墓であることを明らかにした。

しかし皇子の墓は市邊村に定めらることとなった。

参考:『近江名跡案内図』(静里北川舜治、明治二十四年-1891)444頁

東近江市妙法寺町663番地2
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