明知城

恵那郡。遠山氏が先祖代々居城し、遠山相模守景行(はじめ民部と称す)の頃が全盛だった。天正二年(1574)武田勝頼によって落城した。

遠山勘左衛門が七千石で領し、慶長五年(1600)頃は浪人であったが東照宮(家康)に味方したため、子孫は江戸幕府の旗本の「遠山七之亟」である。

参考
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)