印場村にある。『延喜神名式』に澁川神社、『本國帳』に従三位澁川天神とある官社で、往古は今の地より十余町北に澁川という所があり、そこに鎭座していたが、後に今の地に移したという。もとは大嘗會の斎場に祀った社で、村名もそれに由来する。『日本書紀』に、

天渟中原瀛眞人天皇五年(676)九月丙戌。神祇官が次のように申し上げた。新嘗祭を行うにあたり米を作る国・郡を占った。齋忌、踰既ともいうは尾張の國山田郡、次は須岐というは丹波の國訶沙郡。ともに神の御心に合致した。(丹波の上の則字、印行本日本紀になし。今古寫本によりてしるす。)という齋忌の齋場よりつけた村名である。したがって御歳神・大食津神・大宮売神等の御膳・御酒などに管理する数神を配祀する。 往古はたいへん境地広く、 五六町を隔てた所に鳥居の跡があり、今は田となる。また本社の後の方に古塚がある。もとはその上に古甕があって海潮のさし引に従い、水の満ち引きする事があったというが、今は絶える。また直會殿の跡は、今は小祠を残して南の方の庄中村にある。近年は「なほらへ」と称し、諸人崇敬し、病気を祈ると必ず霊験あって、平癒しないことはないという。近郷はいうに及ばず、遠路他国からも参詣して、甚だ繁昌している。天正十二年(1584)九月二十四日、本多豊後守廣孝の制札を立てる。

末社 天王社・白山社・諏訪社・愛宕社・多度社・山神社・八龍社・八幡社・一御前社・金神社・

春日社・須原社・熱田社・熊野社・神明社・紅梅社・老松社。

例祭 九月二十五日。馬の頭。

参考:『尾張名所圖會 前編 巻四』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

尾張旭市印場元町5丁目3番地1
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