大井驛から十三峠の険坂を隔て、大湫驛がある。

慶長八年(1603)幕府は大久保長安に、十三峠を開修して大井宿を移すよう命じ、翌九年(1604)にこの大湫驛が設置された。(『徇行記』)

当驛および日吉、半原の三箇村は石高1763石余に対する堤役が免除されていた。これは、大湫・細湫両驛において、伝馬役だけでなく木工品を運ぶ伝馬役(木具柾傳馬)を務めていたためである。

賃銭

驛人馬は二十五人、二十五匹と定められ、超える分は助鄕に課していた。初めの賃銭は上り(細久手へ一里半)が一人三十五文、一匹七十一文、元禄の改定で助郷十八箇村の石高は1万97石であった。

助郷の村々
半原 神箆 猿子 須ノ宮 小里 萩原 釜戸 一日市場 寺河戸 小田 山田 駄知 藤 久須見 竹折 野井 久々良木 椋實

尾張藩から太田代官へ

中山道往還筋並木松などは、御嵩落合両宿間は尾張藩濃州郡奉行の支配であったが、天明三年(1783)以後は太田代官の手に属した。(『徇行記』)また助郷諸村に下した伝馬割の文書等は、赤坂(三河)代官の名が記してある。おそらくこの一部の方面は同代官の支配に属したのであろう。

参考
『濃飛兩国通史 下巻』(岐阜縣教育會、大正十二年-1923)
『恵那郡誌』(恵那郡教育会、大正十五年-1926)322頁

瑞浪市大湫町414番地
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