片端筋の西にある。諸国の商船が、諸物を積んで来て、出入りの舟が絶えない。上は御城の西で大幸川に合流し、下は熱田の海に入る。
慶長十六年(1611)六月一日から美濃・伊勢両国の先方衆が集まり、名古屋舟入(舟運の為の水路)を堀った。白烏の辺りで、別に堀川を構え、福島左衞門大夫正則が普請した。よって今「大夫堀」と呼ばれると『尾州舊話略』に見える。
参考『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)