岐阜城と被るため、山頂ではなく尾根におく。厚見郡岐阜山で、因幡山とも云う。
『古今集』在原行平の歌に
立ちわかれ いなはの山の峰に生ふる まつとしきかは 今帰りこん
あなたと別れて、因幡の山に生えている「松」(私の帰りを待つ)と聞いたなら、今帰りましょう
がある。
この歌は『八雲御抄』『範兼抄』『名所和歌集』に美濃と有り、『清輔抄』に因州(因幡国=鳥取県)とある。『文徳天皇實録』には、「斉衡二年(885)正月従四位下在原朝臣行平因幡守為」という。頓阿の『井蛙抄』には、因幡国司に任じた時に詠じだのだろうか、覚束なし、とある。二條家が伝えいうには、因州とある。
『季吟拾穗抄』には、両説あるが因州が妥当だろう、ただこの歌を本歌にして後代に美濃國稲葉山を詠む例が多い、とある。
『新古今』(元久二年 [1205])
わすれなん 松となつけてなか〳〵に 稲葉の山の 峰の松風
定家 いっそ忘れてしまおう。松と名が付いているせいで、稲葉山の松風が切なく感じる
『拾遺愚草』(建保四年 [1216]頃)
きのふかも 秋の田の面に露おきし いなはの山も 松の白雪
同人 秋の田に穂に露をおいてあったのは昨日のことだっただろうか。いなばの山にも松に白雪積もる。
冬
『続拾遺』雑(文保二年 [1318])
かひなしや 稲葉の山の松とても またかへりこん 昔ならねは
為氏
『玉葉』冬(正和元年 [1312])
雪の中に 冬は稲葉の嶺の松 終にもみちぬ 色たにもなし
順徳院御製
冬
『新千載』別(延文四年 [1359])
都人 松としきかはことつてよ 獨りいなはの 峯のあらしに
伏見院御製 都人、もし私を待つと聞けば伝えてほしい。ひとり稲葉の峯の嵐にいると
『新後撰』夏(文保二年 [1318])
鳴捨てて 稲葉の山の時島 猶立ち帰り まつとしらなん
権中納言経平 鳴き捨てて去る稲葉山のホトトギスよ。それでもなお帰るのを待っていると知ってほしい。
夏
『新続古今』別(永享十一年 [1439])
今はとて 稲葉の山の郭公 わすれ形見の 一聲もかな
法眼顯如 今はお別れの時と、稲葉の山のホトトギス、忘れ形見にひと声聞かせておくれ
夏
稲葉山 嶺立ちわかれ行雲の 帰らん程は まつと頼めよ
権中納言雅縁
同、冬
紅葉せし 秋は稲葉の朝風に 松のみ残る 冬はきにけり
源家長
冬
『続拾遺』冬(文保二年 [1318])
待つとせし 風のつてたに絶果てて 稲葉の山に 積る白雪
藤原隆輔 風の便りが絶え果てて
冬
『御集』
稲葉山 松の嵐やさむからん 麓の里に 衣うつなり
後鳥羽院御製
秋
『夫木』(延慶三年 [1310] 頃)
今はとて 春も稲葉の峯の松 ねにあらはれて 鶯そ鳴く
光明峯寺 春になり松の根元でウグイスが鳴く
春
旅ねする 花の下風立ち別れ いなはの山の 松そかひなき
後京極攝政 旅先で寝ていると花の下を抜けた風が吹いてきた。あなたが去ってしまい待つ甲斐がない
春
立帰り いまは稲葉の山かせに 松に音する 初雁の聲
為家 季節が巡り、今は稲葉の山風に松が音を立て、初雁の声がする
秋
人はこす 秋は稲葉の山風に けふも暮れぬと 鹿そ鳴く成る
通具 人は来ず、秋は稲葉の山風に、今日も暮れてしまったと、鹿が鳴いている
秋
峯の松 裾野の萩も打なひき 稲葉の山は たゝ秋のかせ
慈鎮 峰の松も山裾の萩も激しくなびいて、稲葉の山はただ秋の風が吹く
秋
『新撰歌』枕(延長八年 [930] から承平4年 [934] 頃)
しはしとも なとかとゝめぬ不破の関 稲葉の山の いなはいねとや
國基 「しばし」ともなにも留めない不破の関、稲葉の山の「いな」は「去ね」なのか
稲葉山 雪の松風冴暮て 村雲白く 出つる夜の月
能行 稲葉山に雪交じりの松風が吹き日が暮れていき、夜の月に群雲が白く出てくる
冬
文和二年(1353)池田の小島にて
『小島のすさみ』(文和二年 [1353])
おもひきや 思ひもよらぬ仮寝して 稲葉の月を 庭に見んとは
二條関白良基 おもひきや=かつて思っただろうか、いや思わなかった
秋
この山は昔、陸奥から金が化けてきた由が因幡社の縁起に有るとか
『藤川記』(文明五年 [1473])
早苗とる 麓の小田にいそくなり そよく稲葉の 庭(峯)の朝(秋)風
一條太閤兼良
夏
『建保歌合』(建保年間 [1213〜1219])
秋の田の なひきし音はかれはてゝ あらぬ稲葉の 峯の松風
行意 秋の田の穂がなびいた音は枯れ果てて無くなり、稲葉山の松風が吹く
秋
『太神宮拾首』
帰り来んと いひし契りを頼みにて いなはの峯に まつそ久しき
鷲尾隆長 帰ってくると言った契りを頼みにして、いなばの山で長い間待つ
参考
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)