※詳細な場所は不明、名古屋市中区富士見町におく。

前津中の切の東側の家が続き、東懸所(東別院)の東北のやや高い所である。ここから東の方を見渡せば、猿投山・大草山の間に富士山がかすかに見えるため、昔からここを「富士見原」と呼び慣わすようになった。

またこの辺りに、そのむかし、横井暮水翁が別荘を構えて、自ら「知雨亭」と命じ、七勝の風光を題目として当時の高名の諸家二十八人に七勝の吟詠を求められた。今は僅かにその内の七人を挙げて、そのほかは割愛する。幽栖(ゆうせい=隠居する所)の旨趣は、君山・峨眉両翁の撰した『知雨亭記』、および暮水翁誹文の『七勝記』等にみえる。

東嶺孤月 千村伯濟
𤠔犺嶺頭暮色收。月華初吐大於鈎。須叟布地金波遍。映出前津種々秋。

(:山々の嶺から夕暮の色が収まり、昇り初めた月の光は三日月より大きく輝く。たちまちのうちに月の光は地上に敷き詰められて金の波が広がり、前津の様々な秋を映し出す。

路傍古松 堀田方舊
百尺古松三四株。龍鱗含雨接天衢。歳寒猶惹吟哦興。何混風塵伴鄙夫。

(:百尺(約30m)もの古い松が三、四株。龍の鱗(木肌)に雨を含み天に接する。冬の寒さの中でなお詩を吟じる興に惹かれ、どうして風塵にまみれ卑しい者と伴ったりしようか。

逢丘煙樹 千村鼎臣
五彩雲生洞裏天。鬱葱煙樹栖神仙。因思蓬島隣南浦。徐福當時來繋船。

(:五色の彩雲が洞窟の空に生まれ。鬱蒼と茂り霞む木々に神仙が棲む。仙人の住む蓬莱の島はこの南浦に隣り合っているのだろうか。徐福も当時訪れ船を繋いだ。

海天新雁 橘隱
粧點海天空濶秋。 數行新雁下蘆洲。 水雲萬頃無窮景。 載去載來多少舟。

(:海天の広大な秋を飾るように、数行の新たな雁がアシの繁る中洲へと舞い下りる。 水と雲が広く果てしない景色のなか、多くの舟が載せては去り、載せてはやって来る。

龍興寺鐘 全嵒
雲擁上方一路通。華鯨吼破野村中。使人幾度發深省。應是神龍護梵宮。

(:雲は上方をかかえて一路が通じる。鐘の音が野の村の中に響き渡る。人々に幾度となく深い内省を促す。これこそまさに神龍が梵宮を護っているからに違いない。

市門曉雞 須賀精齋
市門霜白曉星沈。紅日欲升影萬尋。屋上羣鷄時已報。炊煙處々梟肅森。

(:市の門に霜が白く降り、曉の星が沈む。紅の日が昇ろうして、影がどこまでも伸びてゆく。屋上の鷄の群れが時を既に報せた。炊煙があちこちで高く上り、静かで厳かなである。

隣舍春歌 半掃庵
知雨亭唯北有隣。踈墻結竹共孤貧。枕頭夢斷春歌近。猶識夜闌未寢人。

(:知雨亭の北隣に舍が有る。まばらに竹を結んだだけの、お互いに孤高で貧しい様子である。夢が途切れると、春の歌が近い。夜が更けてもなお、まだ寝ていない人がいるのだと分かるのである。

『清音樓詩抄』

前津別業 山村良由
憶昔春風十二樓。圓林今日草堂幽。誰知白玉屏前月。還照青麗帳外秋。

(:昔の春風が吹いていた十二樓を思い出す。庭の今日の草堂はひっそり静まり返る。誰が知ろうか、白玉の屛風の前の月が、今度は還って青麗の帳の外で秋を照らしていることを。

三河路の 峯のまつばら霧はれて 雲井にひくき ふじの遠山
 豐長
ふじ遠く 凧のたもとに 見ゆるかな
 羅城

参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

名古屋市中区富士見町2番17号
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