厳邨神社ともいう。
恵那郡岩村町字相原に在り、從三位参議左中将信能卿を祀る。卿はこの地で斬られたのか、後人がその墓として小社を建て、其の靈を祭り若宮神社と称した。明治十三年(1880)、明治天皇の中山道行啓の途、特に片岡侍従を差遣し祭粢料金十円を賜う。翌年岩村神社と改称し崇敬することとなった。
信能卿は正二位権中納言能保の二男で、建久四年(1193)正月叙爵し、侍従左少将等を経て承元(1210)四年正月従四位上、建暦元年(1211)正月十八日美乃介となり同日左中将に昇り、のち中宮権亮となる。承久二年(1220)正月二十二日蔵人頭より参議に任せられ左中将のままであった。翌年(1221)正月七日從三位に叙せられ、同十三日備中權守を兼ねる。承久の乱に首謀者の一人として七月一日断罪され当郡に護送さらる。『承久記』に
一條宰相中將は遠山左衞門尉景村具足し、美濃國遠山へ下りて切り奉らんとす。此宰相中將元來西方に心を懸たる人にて御座ければ、都を出でし日より殊に念佛不怠、付奉る青侍し猶々稱名を進め奉る。中にも此文を誦しきかす。
種々法門皆解脫 無過念佛徃西方 上盡一形至十念 三念五念佛來迎 乃至一念無疑心
と、今はの時に臨て三度誦して切給ふ。紫電たなびき異香薫し音樂空に奏すと、人々も聞ける、有心も無心し袖しぼらぬはなかりけり
と、その斬られしは、吾妻鏡に
七月五日丁亥、小雨降、一條宰相中將信能相具于遠山左衞門尉景朝下著美濃國、即當國遠山庄刎首云々
とあることを以て大日本史料はこの日とする。皇代暦は八月十六日とする。今前田本公卿補任に據りてこの文を作る。
参考
『濃飛兩国通史 上巻』(岐阜縣教育會、大正十二年-1923)419頁