※詳細な場所は不明

大草村にある。むかし、この辺りに篠城宗八という盗人がいた。いかなる故か里人は「そろり」と異名を付けたという。延徳三年(1491)に死んだ後の、しるしの墓であるといい伝わる。出川村の里老が伝えつところでは、宗八の子の篠城於松という者は信長公に近仕していたが、信長公が京都で没した際(1582)、忠死すべきを逃れて旧里に逃げ帰り、田川村に隠れ住んだという。

しかし、延徳三年(1491)と天正十年(1582)とでは九十余年の隔たりがあり、宗八と於松を父子とするのは疑わしい。その頃、「そろり」と称する者が数人いたとすれば、同姓の別人であったのだろう。『賤の小手卷』には、関田村に曾呂利惣八の屋敷跡と塚があるとされる。世には出川村に住んだといい伝わっているが、出川には屋敷もなく、子孫もいない。

白山の圓福寺には、経三尺ばかりの太鼓の胴があり、宗八の太鼓といい伝わる。『雜記』には、「曾呂利」とは窃盗であったからだと記されている。

参考
『尾張名所圖會 後編 巻四』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

小牧市大草中173番地
種別