白山信仰は養老元年(717)に泰澄によって開かれた。修験道の霊場となり、修行者の入山が盛んであった。白山は加賀・越前・飛騨・美濃の四ヶ国にまたがった山岳であり、山麓に別当寺(馬場)を持ち、周辺諸国で広く信仰された。長滝寺は下山馬場といわれ、各地に参拝を目的とする講が組織され、村落に白山社が創建された。
北條泰時は承久の乱(承久三年-1221)から二年後に幕府の執権となり、貞永元年(1232)には御成敗式目五十一條を定めた。いわゆる貞永式目。その中で、社寺を修理し祭祀仏寺を勤行することを奨励した。また、守護・地頭の職掌を定めた。
奉寄進 鳩居峯料所事
在飛騨國大野郡神領桐生中屋名主職事
右件名主職者、故慶讀法印御房御給主之時、依有彼本名主聖賢隱田罪科、被經度々衆議令沒取仲田地之時、御給主法印御房數々年御知行乎、然間御沒後之時御弟子行音房被與御讓、隨年之領知無相違、𡵢行音房死去之刻、彼名主御分之内五百文者令寄付當峯乎、所殘名主得分者圓海一圓令讓得相傳云々、且爲當峯興隆且勞現富二世悉聖成就、彼名主得分者限世々將來當峯中所奉寄進状如件
元徳貳庚午年閏六月二十一日 飛騨國中原名主 阿闍梨圓海 花押
「鳩居峯」は白山峯の別名。長瀧に入峯堂があり鳩居峯の山伏出立の際に一宿する。ここから鳩居峯に至る間にも宿があり、皆本尊を祀ると、『長瀧寺舊記』にある。この維持費として名主の得分を寄進して賄われる。名主職、地頭職という場合の「職」は名主・地頭の地位から発生して得る利権をいう。名主は地主のことである。
参考:『濃飛兩国通史 上巻』(岐阜縣教育會、大正十二年-1923)428頁