二十五丁橋

下馬橋といい、御手洗川を渡す石橋である。俗に「二十五丁橋」という。

ここから南、社家町を御所の前・御所の内という。およそ帝の皇居、あるいは親王方・大臣家・将軍家などの地ではなく「御所」とは称し難い。この場所は古い地名であるため、大宮司の所縁によって源頼朝将軍の仮住まい(寓居)された地であればこのように呼ぶのだろうか。

また『続日本紀』の大宝二年(702)太上天皇の巡行に際して、瀬古という地名のあるのは、この時に人夫(役夫)を集めた地名であろうか。さらに考察すべき。

参考
『尾張名所圖會 前編 巻三』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)