小林山光明寺(こうみょうじ)。大野村にある。東本願寺直末の院家である。もとは同郡の小林村にあり、天台宗の道場、聖徳太子の草創、後醍醐帝の勅願所であったが、中世に佛性上人が嘉禎元末年(1235)親鸞聖人を帰依して、現在の宗派に改めた。伝えによれば、在原業平朝臣が故あって当郡・荒尾里に来住し、その子孫は代々この地に居る。佛性上人は則ち業平十三世の孫、荒尾公平の子であったという。その後当寺の住僧・淨念、水野藤四郎の女を娶ったため、水野下野守は十町の寺産を寄附した。また佐治上野介が当地を領した時も、また十町を加増した。しかしその後、織田有楽がその半分を減じ、豊太閤がその残余を悉く没収した。慶長五年(1600)の兵火に、古い證状及び代々の寶物は焼亡した。しかしその後再営して、堂宇は今も猶儼然である。
本尊 阿彌陀の立像。
塔頭 もと六坊あったが、今は光蓮寺・聞行寺・法通寺・田中寺の四宇を残す。
参考:『尾張名所圖會 前編 巻六』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)