羽豆(はづ)神社 幡頭崎の頂上にあり。祭神建稻種命、俗に幡頭崎八幡と稱す。『神名式』に「羽豆神社」、『本國帳』に「従一位羽豆名神」とある是なり。傳へいふ、尾張氏師介といふもの、此地に住めり。故に祖神・建稻種命を祭りて、此祠を建てしと。又『古事記』に、「天押帶日子命者知多臣之祖也」と、『姓氏錄』に「羽束首天足彥彥國押入命男、彥姥津命之後也」とあり。「此神を祭るならんか」と、『本國帳集説』にいへり。當社は海中に張り出でし数十仭の巌上にありて、數百の石磴をよじ登り、絶頂の徑は僅に一間餘の幅にして、其の左右には滄海の漫々たるを直下に見おろし、四方の眺望絶景なる事は、幡頭崎の件を見て知るべし。又此山は、いまめ樫のみ生ひしげりて、更に他樹を交へす。すべて當郡の山は、いまめ樫ことに多し。
攝社 神明祠・住吉祠・春日祠・三狐神祠・龍神祠等あり。
例祭 八月十四日。神輿を伝宮に遷して祭る。十五日本社に還御あり。むかしは奉幣使藤原橘の兩家、隔年に下向ありて、片名村の旅館につき、[今片名神明社地是なり]羽束の神人長濱に出で迎へ、大麻を奉り、行宮に至り、奉幣ありて後、相撲の式などありしとぞ。今は悉く斷絶せり。ただかたなゞ片名村神明の祠官、幣使になぞらへて、基遺意をなせり。又祭日大野の宮山の僧と岩屋寺の僧來りて、管絃をなせしが今はたゞ岩屋寺の僧笛を吹いて、神輿に供奉するのみ。又伊勢の神官も来りて、散楽などありしが、是も今は廃せり。されど祭の行装雅古雅なる事は、圖を見て知るべし。
神寳 紺紙金泥法華經。阿弥陀経一巻[應永十五年、一色修理大夫源朝臣入道道範の奉納なり]。太刀一腰[田原禪正忠憲光の奉納]。横笛一管[源義経の所持、銘薄墨といふ]。
祠官 間瀬氏。
社僧 白翁山神護寺。天台宗、野田密藏院の末寺なり。
参考:『尾張名所圖會 前編 巻六』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)