この地に原住していた丹生氏の系譜を記した延暦一九年(800)の年紀を持つ『丹生祝氏文』(意訳、尾関章『濃飛古代史の謎』)に、
美麻貴(崇神)天皇の御世、天道根命の裔である紀伊国造宇遅比古命と、その子大阿牟太首が、紀伊国の黒犬と淡路国の白犬を各一匹ずつ丹生津比売神社に奉納した。
品田(応神)天道は、神社に寄進された。この四至は、東限は丹生川上、南限は阿帝川の南の横峯、西限は応神川・星川・神匂であり、北限は吉野川である。また御犬の口代に飯を奉納する地は美乃国であり、その飯を盛る器として三津の柏と浜木綿が寄進された。そしてまたこの御犬の犬甘として、蔵吉人と三野国の牟毛津という人の子で、犬黒比という人も寄進された。
犬黒比という人は、かの御犬二匹をひきいて、弓矢を手に持ち、大御神のおみえにはる阿帝川の下、長谷の川原に「犬甘の神」という名を得て石神となって今にある。彼の児の裔、十三世祖の時より、大贄人となり、丹生人の姓を賜った。
と記され、朝廷と関係のある丹生津比売神社の犬飼に美濃国の氏族の牟義都氏の子が選ばれ、後に犬飼の神として祀られ、丹生氏の祖先となったとされる。犬飼姓は1989年の電話帳によれば岐阜県の市町村の一万人辺りの軒数で、岐阜県七宗町奥田に集中している。この奥田の周辺は製鉄や武器と関連があると推測される場所である。
丹生津比売神社の近隣の那賀町には”麻生津峠”や”麻生津”という地名があり、近畿地方の層状含銅硫化鉄鉱床がある。犬飼と鉄は一見関係がないように思われるが、尾関章氏によれば、犬はタタラの禁忌や仲介者であり、鉱山の神に仕える存在、さらには「別部の犬」のように鉱山師そのものとしても捉えられ、深い関わりがあったという。
参考
七宗町教育委員会、七宗町史編纂委員会『七宗町史 通史編』(七宗町、平成5年)129-131、193頁