不破郡宮代の南宮山のこと。美濃の中山の内にあるため、南宮社を仲山金山彦大神と称する。山の上に昔、一つ松があり、一條兼良公が植継ぎした小松も枯れて今は峯に跡のみ残る。
『新古今集』一つ松(元久二年 [1205] / 原歌は天慶三年 [940] 頃以前)
思ひ出や みのの御山のひとつ松 契りしことは いつも忘れす
伊勢
『新拾遺』雑(貞治三年 [1364])
徒に 美ののお山のまつことも なきわれなから 年ふりにけり
亀山院御製
『続後撰』(建長三年 [1251])
いかなりし みののお山の岩根松 ひとり難面(つれなき) 年をへぬらん
正三位知家
『新後撰』恋(元亨元年 [1321])
恋しらぬ 美濃の御山の難面(つれなく)も いつまて人に 松ときかれん
遊義門院大蔵
同、雑下
昔とて かゝるはかりの友もなし みののお山の 松の古木は
前大納言為家
『続千載』(元応二年 [1320])
忘らるゝ 美濃の御山の難面も 松と聞かれん 名こそ惜しけれ
前大納言為氏
『続後拾遺』雑(嘉暦元年 [1326])
色かへぬ みのの御山の松ことに 此世も過きぬ 関の藤川
後西園寺入道
『夫木』(延慶三年 [1310] 頃)
松たてる みのの御山の木蔭とて 友なき蝉も 獨り鳴くなり
後九條内大臣
夏
『太平記』十五(延元元年/建武三年 [1336] 頃)
数ならぬ 美濃のお山の夕時雨 難面まつは ふるかひもなし
後醍醐天皇帥宮
秋
現存
古郷と なりにし世よりみの山の 國の葉柏 とるかひもなし
源寂法師
『小島のすさみ』(文和二年 [1353])
うかりける みののお山の松ことも けにたくひなき 世の例かな
二條関白良基
寛正年中(1460-1466)一つ松植継の時の歌
時に逢ふ 美濃のお山のひとつ松 植ゑて今より 千代を経ぬらん
一條関白兼良
『藤川記』(文明五年 [1473])
祈るそよ 治まれる世をまつことは みののお山の ひとつ心に
一條太閤兼良
この山に天人の影向(下りた)があったことから「人来の松」とも名付けたとか
まれにきて みののお山の松のかさ うれしき身にも 天の羽衣
同じ人
夏
天和(1681-1684)頃、美濃に来て
世にふるは 同しつらさの夕時雨 みののお山の 松ならぬ身も
土御門宮内卿
秋
家集
水莖の かきのみ残る玉章か みののお山の 神やいさむる
實方 筆の跡が柿の実(書き残し)のような手紙か、美濃の山の神が諌める
『新撰歌枕』(治承四年 [1180] 頃)
美濃山に いつともわかぬ松の葉に しるし斗りの 秋風そ吹く
成茂
秋
美濃山に しけりかさなる眞榊の 豊の明りに 逢ふそ嬉しき
大伴黒主
12月
家集
数ならぬ みののお山の一つ松 獨り覚めても かひやなからむ
兼好法師 美濃のお山の松が独り悟っても甲斐がないのだろうか
『東家十三代集』(寛正六年 [1465] 頃)
我世経む しるへと今も頼むかな みのの御山の 松の千年を
東野州平常緑
『南宮十首』(文明五年 [1473] 頃)
神さふる象の山松幾年かゆきの白ゆふかけて見ゆらん
権律師秀永
冬
『夫木集』(延慶三年 [1310] 頃)
たつきなき 美ののお山の呼子鳥 松は一つの 恵みなりけり
爲家 手がかりのない美濃のお山の人を呼ぶ鳥(かっこどり)、松は一つの恵みである
春
南宮の神木の白玉椿、美濃のお山を詠み合わせたもの。
『新拾遺』冬(貞治三年 [1364])
美濃山の 白玉椿いつよりか 豊の明りに 逢ひはしめけん
行範 美濃山の白玉椿がいつの頃から宮中に供されはじめたのだろうか
冬 12月
『南宮十首』(文明五年 [1473] 頃)
色かへぬ 白玉椿みの山の 神や八千代の たねを植ゑけん
利綱
冬
参考
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)