堀川の西、日置・古渡の境にあった。松平圖書康久(入道無三)は、当時國君の本家で、権勢も俸禄ともに盛んだったが、延寶七年(1679)養子圓書の時に至り、故あって家名が断絶したので、無三は月俸三百口を賜わり日置の別荘の側に在った。そのため、その名がこの杁に残り「無三殿閘(いり)」と呼ぶようになった。

参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)


名古屋市中川区山王3丁目1番20号