俗に船着大明神と称する。この地は町屋川と西別所川の落合った処で、往来する船の碇泊所であった。一説には古歌にある小野の湊(小野の古江)という(『北勢古志』等)。

昔は入江村、田宮村、船戸村の総社であったが、三ヶ村が合併し東方村と称し、入江村は尾野入江の辺に居住して尾野神社を祀り、船戸村は船戸の辺に居住して船戸神社を祀り、田宮村は高野御前の社辺に居住して高野御前を祀っていたという。祭神には異説が多く、牛頭大王、野槌神、衝立船戸神などある。『社記』は、祭神が衝立船戸神で、相殿を宇賀御魂神・八幡神・春日神・神明神・山神の五柱、また小野臣の祖神、天押帯日子命として、相殿に天照大神・宇賀神・春日神・八幡神を祀るともいう。

天長年中に空海が伊勢に来た際に参拝した(『郷司家旧記』)。織田氏兵乱で社を天王に擬して兵火を免れようとし、祭神を牛頭大王とした(『館家日記』)。

境内に前方後円墳がある。往古はその辺に神殿、奥の院があり、南西に小野山正斎坊邸跡がある。尾野神社の別当寺だったが、永禄十年(1567)信長兵乱で廃滅し、社蔵の古文書・古器物な悉く焼失した。乱後、御陵と神殿は区別し、神殿は山にあった。

参考:近藤杢、平岡潤『桑名市史 本編』(桑名市教育委員会、昭和34年発行・昭和62年三版)51、52頁

桑名市東方
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