方県郡鶴飼郷。秀吉の頃、大澤六左衛門も住んだか。
加藤氏が以前より方県郡黒野を領し、後に土岐氏に属して厚見郡今泉の橋爪に移った。
やがて加藤作内光泰は、斎藤道三に仕え、後に秀吉に従って戦功を立て、丹波周山城、近江高島城、◎尾州犬山城に歴住した。天正六年(1578)◎大垣を治め、同八年(1580)貶されて、◎佐和山城を賜った。小田原の役(1590)に戦功をたて、甲斐国二十四万石を食む。朝鮮の役に従軍して戦功を立てたが、文禄二年(1593)八月に帰国しようとしたところ石田三成に毒殺された。
その子・加藤作十郎貞泰(左衛門尉)が継ぎ、翌三年(1594)方県郡黒野城に移り、四万石を食む。後に大洲城(現愛媛県大洲市)四万石を食み、左近大夫と改めた。文禄年中(1592-1596)に甲州谷村(現山梨県都留市)から黒野城に移り、慶長十五年(1610)に伯耆米子に移った。
参考
『濃飛兩国通史 下巻』(岐阜縣教育會、大正十二年-1923)
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)