生駒氏宅地

信長秀吉徳川に仕える

小折村にある。生駒左京進藤原家廣五代の孫の生駒隼人正利豊は、はじめ信長公に仕え、豊臣家に属して当村を領し、慶長五年(1600-関ヶ原役)尾張衆の一員に入り、御一統(天下統一)の後、性高院君に仕え、その後國祖君(初代藩主徳川義直)に奉仕し、長臣に列した。利豊は経学に通じ、また和歌を好んだ。慶安二年(1649)隠居して露月と號し、寛文十年(1670)四月二十六日没す。法名を覺海院殿空山露月居士といった。詳しくは富士塚の銘文に譲り、ここでは略す。

相生の 松の門しも明けそめて 戸ざゝぬ御代の 影をたのしむ
根元が一つで幹が分かれる相生の松の門のあたりもほんのり明けてきて、門を閉ざさぬ必要のない太平の世の光を楽しむ

これは露月の詠で、『家集』に見える。

参考
『尾張名所圖會 後編 巻六』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)