新福寺村にあり。松登山と号す。高田宗、伊勢の一身田專修寺の末寺。当寺は慈覺大師の草創で、天台宗だったものを、嘉禎元年(1235)四月、親鸞聖人東国より帰洛の時、この寺に二日間逗留され教えを説かれたので、住僧慶順坊は帰依して弟子となって以後、今の宗に改めた。慶順の法嗣圓順は、下野国真壁の大夫判官平國の末孫で、幕末頃にも推”尾”元屋敷があった。しかし当国に来て尾文字を省き、椎野と呼び替えたという。され聖人掛錫の地を御旧跡と称す習しで、二十四輩順拝の者は必ず参詣する。
寺宝に祖師聖人眞筆紺地金泥十字名號・連座御嶽・十組御影・太子十六歳眞向御影・佛舍利、以上の五種は聖人から慶順坊へ附屬された品である。その他、祖師九十歳の木像・素性法師の木像等がある。永禄四年(1561)十一月十一日夜の火災に、本堂・鐘樓・鼓樓等の諸宇が焼失し、かの十字名號は焔のうちより抜け出て、境内の古松の枝に掛かっていたが、それより火難除けの名号と称して守りとし、松登の山号が起こった。
尾張の国春日井郡眞福寺村といふ所の圓福寺に、親鸞聖人が書きなさった十字名號がある。過ぎし世兵火の時、かの名号飛び出でて、その所の松に登りて残りたる故に、松登山と国司より名付けられたるその古松、今にありと聞きて
わざはひもおよばぬまつは御佛の道とともにや世にさかゆらん 正三位供秀卿
境内に藤の棚があって繁偃する。この藤は慶長年中(1596-1615)植えしといい伝え、珍しい古樹である。されば古今の文人詩歌も多くあり。その一、二を挙げる。
圓福寺ニ遊ブ 河村盆根
寺圓福ト稱シ祇園ニ擬ス。地藤花ヲ種ヘテ蔓ヲ引クヿ繁シ。日ヲ帶ビテ千葩紫暈ヲ浮ベ。雲ヲ停メテ萬蕋黄昏ニ映ズ。婆娑暇アラ不輕風ノ力。爛漫全ク凝ル過雨ノ痕。罨畫溪邊知ル咫尺。遊蜂戲蝶春魂ヲ樂ス。
『醉中雖興集』
紫のゆかりぞ花のゑんぷく寺五十四丈もあらん藤棚 湖月堂可唫
藤さくや鼠もしらぬ棚さがし 東甫
参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)