※年魚市潟勝景跡の碑がある。
あゆちがた。様々な場所の説がある。愛智郡の海辺をいうのは当然の事であるが、 古歌に「知多の浦」や「氷上」などを合わせ詠んでいるのを見れば、この熱田より東の方、知多郡境の海辺であることが分かる。『八雲御抄』及び『夫木抄』等に、「あゆちがた」を紀伊國の名所とするが、 『日本書紀』によって「年魚市」は当國尾張の地名であることが明らかである。
『萬葉』(奈良時代)
年魚市方鹽干家良志知多乃浦爾朝榜舟毛奧爾依所見
あゆちがた しほひにけらし ちたのうら にあさこぐふね もおきによるみゆ
年魚市潟は潮が引いたようだ。知多の浦に朝漕ぐ船も沖に見えるよ。
この歌は『夫木抄』に入り「題不知よみ人知らず」とある。
『寛平縁起』(平安時代初期)
阿由知何多比加彌阿禰古波和例許牟止止許佐留良牟也阿波例阿禰古乎
日本武尊
あゆちがた ひがみあねこは われこむと とこさるらむや あはれあねこを
年魚市潟の東(氷上)にいる姉子(宮簀媛命)は、我が来ると床を整えて待っているだろうか、ああ愛しい姉子よ
※宮簀媛命と日本武尊の関係は◎熱田神宮に詳しい
『新続古今』(永享十一年-1439)
あゆちがた 汐干のうらを見わたせば 春の霞ぞ また立ちにける
俊惠法師 年魚市潟の潮が引いた浦を見渡せば、春の霞が再び立ち込めてきた
春
『夫木』(正和年間-1310頃)
舟を
あゆちがた 朝漕ぐ舟のほの〴〵と 知多の浦邊に 波よする見ゆ
中務卿皇子 年魚市潟、朝漕ぐ船がほのぼのと見える。知多の海辺に波を寄せているよ。
宝治三年(1249)百首潟千鳥
夕波の たゆたひ見ればあゆちがた しほひのゆたに 千烏なくなり
正三位知家卿 夕波が揺れているのを見れば、年魚市潟の潮が引いた浜に千鳥が鳴いていたよ
冬
あゆちがた 汐干にけらしゆふさらず 遊ぶ千鳥も 聲長閑なり
光俊朝臣 年魚市潟は潮が引いたようだ。夕方になると遊ぶ千鳥の声も長閑であるよ。
冬
夕立を
なみのうへに 夕立すれどあゆちがた 雲もかゝらぬ 浦の遠山
平政村朝臣 波の上に夕立が降ったが、年魚市潟の浦の遠くの山には雲もかかっていない
夏
知多の浦に 霞たなびくあゆちがた 熱田のうらに 春立つらしも
田中道麿 知多の浦にうっすら霞がたなびく。年魚市潟、熱田の浦に春が訪れたらしい。
春
海邊霧
あゆちがた 夕霧ふかし旅びとの 道ふみかねつ 沖にをれなみ
荒木田久老 年魚市潟に夕霧が深く立ち込めている。旅人は道か踏みかねて、沖では折れた波の音が響くよ。
秋
あゆちがた 春の曙ながむれば 霞に籠る 伊勢の島やま
腺 年魚市潟で春のあけぼのを眺めていると、霞に包み込まれた伊勢の島や山
春
参考
『尾張名所圖會 前編 巻四』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)