坪内又五郎の居城で、その後百姓屋敷(『寛文村々覚書』)。松倉城主坪内氏は、加賀国富樫氏庶流の頼定が、尾張にきて天文年間(1532-55)に犬山城主織田信康に仕え、野武城代坪内又五郎の家を嗣(つ)いで坪内に改めたものという(『濃飛両国通史』)。

武功夜話(前野家文書)は、次の通り記している。
天文16年(1547)9月の稲葉山攻めで犬山城主織田信康家臣坪内将監(しょうげん)が討死後、信康子信清は戦功のあった前野又五郎忠勝に将監遺領の野武・高野島を継がせた。坪内(前野)又五郎忠勝は男子がなかったため、坪内の名跡を女婿富樫宗兵衛為定に譲り、みずからは高野島(開明)に隠居した。その後坪内の名跡は、為定弟玄蕃勝定、その弟喜太郎利定と引き継がれた。坪内兄弟は信長家臣として活躍している。

野府・高野島・松倉あたりは、戦国期には「河内」と称された古木曽川流域の要所で、坪内氏は非農業的性格の強い土豪と思われる。

参考
尾西市史編さん委員会『尾西市史 通史編 上巻』(尾西市役所、平成10年)

一宮市開明中屋敷
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