小野の長橋

渡るも嬉し かゝるたよりに

鎌倉街道(京-鎌倉)の道すがらにある。

『覽富士記』(永享四年-1432- 連歌師堯孝の義敢将軍随行)
ながはしと聞いているものは、本当にはるばると見わたされるものだったのだな。(明細記によれば、小野長橋は小野の西の舊跡である)

數ならぬ みのゝ長橋長らへて 渡るも嬉し かゝるたよりに
堯孝 取るに足らぬ身分であるが、美濃の長橋のように(失脚せず)長らえて、このような機会に恵まれ、渡ることも嬉しい

『富士紀行』(永享四年 [1432])

秋ふかき 田の面につゝく長橋を ほなみをかけて 渡るとそ見る
飛鳥井雅世 秋が深まった田の面に続く長橋を渡っていく。穂波の上を架けて渡っているようである

同、帰路

立皈る 此長橋に長月や 末になるまて 日数経にけり
同人 戻ってきた。長月(九月)の末になるほど日にちが経った
九月 

天文二十年(1551)の『成菩提院古記録』(坂田郡志所引)に、「毎年正月十一日に、[中略] 長關へ二百文」とある。その頃、鎌倉街道(京-鎌倉)には不破関・玉の関などでも関があり、通過料が課せられていた。やがて、織田信長の征服によって撤廃された。

参考
『濃飛兩国通史 上巻』(岐阜縣教育會、大正十二年-1923)736頁
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)