祇園寺の背後の山を指し、天満宮を安置している。

神廟はもとは祇園寺境内にあったが、寛政(1789-1801)の初め、寺僧・卍瑞が開基となり、数千人が奉納した詩歌・文章などを山頂に埋め置き、文政七年(1824)にはその上に現在の神廟を基立し、八棟造の高廟を新たに構えて、以前よりはるかに荘厳となった。それより文章峯と称した。

山の中腹に「いろはの滝」があり御手洗である。瑞垣内に冷泉為泰卿の自筆の詠を刻んだ石碑が建つ。

天(あま)満つる神の守護(まもり)のふみの峯あふぐに高き宮居なるらし 等覺
いろはの瀧
ふみのみねおなじふもとの岩つたひおつるいろはの瀧のしら玉 權中納言實勳

例祭は二月二十五日、又八月十六日でねりもの数多あり。

参考:『尾張名所圖會 前編 巻六』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

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